Opinion

東京都の地震予測~東京都の地震の過去・現在・未来

執筆:村井俊治 東京大学名誉教授
株式会社地震科学探査機構取締役会長

東京で起きた大地震

東京は1868年まで江戸と呼ばれていました。江戸が知られるようになったのは室町時代の1457年に江戸城が造られた後です。 もともと江戸の地を治めていた「江戸氏」が室町時代にはだんだんと力を失っていき、彼らに代わって、 上杉家の流れを汲む太田道灌が江戸の地にやってきました。 彼は、江戸氏の住んでいた館の跡地に、「江戸城」という城を築きました。

江戸が飛躍的に発展したのは、安土桃山時代の1600年に関ヶ原の戦いで東軍の将の徳川家康が勝利を収め、 1603年に征夷大将軍に任じられ、江戸幕府が政治の中心になってからです。 約260年の江戸幕府の歴史の中で江戸は八百八町の大都市に発展し、世界でも人口の突出した都市に発展しました。 江戸時代に江戸城を中心として、武家屋敷が建つ山の手と町人の住む下町が形成されました。 東京都公文書館の解説によると、大体1680年ごろまでに大江戸の原形が出来上がり、 面積にして約4里(16km)四方に膨らんだそうです。

江戸の面積については諸説ありますが、明治2(1869)年に行われた調査では、約56平方キロメートルとされていました。 江戸の町の範囲および境界すなわち「ご府内」の取り決めは、文政元年(1818)12月に老中阿部正晴から 「別紙絵図朱印ノ内ヲご府内ト相心得候様」とお達しが出され絵図とともに江戸の行政界が決定されました。

(参照:東京都公文書館資料

現在の行政界で言えば下記の地域が江戸でした。
千代田区、中央区、港区、新宿区、文京区、台東区、墨田区、江東区、品川区の一部、 目黒区の一部、渋谷区、豊島区、板橋区の一部、練馬区の一部、荒川区
東西南北の江戸の領域限界は下記の通りでした。
東は中川限り、西は神田上水限り 南は南品川町を含む目黒川辺 北は荒川・石神井下流限り

江戸の治水・埋め立て事業

江戸時代前の江戸の地は荒川、利根川、渡良瀬川が東京湾に注ぐ一大湿地帯でした。 江戸時代に、利根川の東遷事業が行われ会の川(あいのかわ)を締め切り、 赤堀川を掘削して利根川を東京湾から太平洋に流路を変えて洪水の危険を減らしました。
東京湾の埋め立ては江戸時代から始められました。江戸に人口が集中してゴミが大量に出たのを利用して埋め立てが行われました。 また江戸城の築城でお堀を掘削して出た土を埋め立てました。今の東京駅周辺の八重洲周辺は海でした。 住居用途に使う埋め立て地は主としてゴミの埋め立て地でなく土砂の埋め立て地が使用されました。 最初は永代島が埋め立てられたとの記録があります。
江戸時代に大手町、東銀座、築地、門前仲町、水天宮周辺が埋め立てられました。 埋め立て地は軟弱地盤ですので地震の揺れが大きく地震被害が大きくなるはずです。 また液状化も起きやすい土地柄と言えます。
現在の東京は広大な面積が埋め立てられた土地の上に高層ビルなどが建てられていますので、 地震で倒壊しなくても大きな揺れが生じ二次被害が生じる危険が大きいでしょう。

江戸と火事

「火事と喧嘩は江戸の華」と言う言葉が後世に残るほど江戸の町は数多くの大火に見舞われました。 世界的にも、日本中の都市の中でも特に火事が多い街でありました。江戸幕府267年間に大火は49回、大火以外の火事を含めると、1798回もの火事がありました。 年平均にすれば6.7回ですから毎年2か月に1回は火事があったことになります。
最大の大火は明暦3年(1657)に起きた明暦の大火と呼ばれる火事で最大10万7千人の死者が出たと推計されています。 江戸の街の大半が焼失したと言われます。この大火で江戸城の天守閣が焼失しました。
江戸の都市計画と消防方法が大きく見直されました。類焼を防ぐ「火消し」が組織化されたと言います。 明暦大火の後で、京橋木挽町東の海州部分と赤坂・小日向などの湿地を埋め立て、本所深川の開発を進め江戸のほぼ原形ができました。 江戸幕府が発足した当初の江戸の人口は町人と武家集団を加えると約15~40万人程度と推計されていますが正確な記録はないようです。 寛永12年(1635)に参勤交代が始まると大名の武家屋敷ができるとともに武家を支える町方の人口も急増したと言います。 江戸の人口の推移に関しては様々な推計がありますが、江戸時代に100万人を超えたと言う説が有力です。 町人と武家の人口はほぼ同数と推計されていますが、町人は下町に、武家は山の手に住みました。 下町は湿地の埋め立て地など低地を意味しますが、掘割が縦横に張り巡らされた水の都を形成し、 人口密度は1平方キロの面積当たり6.7万人と推計している学者がいます。
当然のことですが、明暦大火の時も主に木造密集地であった町人の住む下町に犠牲者が多かったです。 2番目に死者が多かった大火に安政2年(1855)に起きた安政江戸地震に伴う地震火事があります。 死者は諸説ありますが、最大で2万6千人と推計されています。火事の多くは人災ですが、地震火事は自然災害です。 しかし火事の類焼は風の強さと風向きの自然現象のほかに都市構造にもよりますので、ある意味で人災とも言えます。 大正12年(1923)に起きた関東大震災で10万人以上の死者が出ましたが、多くは火事によるものでした。 約70年前の江戸時代に地震火事があったことを考えると、過去の地震火事による大火の教訓が生きなかった感があります。

江戸を襲った大地震~安政江戸地震~

江戸時代に江戸を襲った大地震は安政2年(1855年)の安政江戸地震(M7クラスと推計)があります。 震源は諸説ありますが、東京湾北部の荒川河口あたりが有力視されています。千葉県北西部を震源とする説もあるようです。 南関東直下地震と考えられています。この地震の2年前の嘉永6年(1853)にペリーの黒船が来航し、鎖国を揺るがす大事件がありました。 また前年の嘉永7年(1854)に伊賀上野地震、安政東海地震、安政南海地震と立て続けに大地震が起きていました。 安政江戸地震で、震度6以上の強い揺れを示したのは隅田川東部(今の江東区)で隅田川と江戸川に挟まれた埋め立て地の 深川や浅草でありました。日比谷から西の丸下、大手町、神田神保町などは谷地を埋め立てた土地だったために 武家屋敷が全壊したと言われます。
一方で武蔵野台地の山手地区、洪積層が地表近くに伏在する日本橋や銀座周辺は武家屋敷が半壊であったと記録されています。 軟弱地盤がいかに地震の揺れに弱いかを物語っています。
幕府の公式調査での被害は、町方で最終的に死者4,741人、倒壊家屋は14,346戸と記録されています。 これに寺社領および武家屋敷の犠牲者を含めると死者は約1万人と推計されています。 城東山人が記した「破窓(やぶれまど)の記」によりますと、「・・・中略・・・高地は緩く、低地は急なり。 その体、青山、麻布、四谷、本郷、駒込辺の高地は緩にて、御曲輪内、小川町、小石川、下谷、浅草、本所、深川辺は急なり」と書かれており、 地震の揺れが台地では震度が小さく、低地では震度が大きいことを記しています。
小石川にあった水戸藩の藩邸が倒壊し、藤田東湖が亡くなりました。 幸い大きな火事の類焼はなく地震火事が大事に至らなかったのは幸いでした。 前年に起きた安政東海地震および安政南海地震による地震災害の復興支援に加えて安政江戸地震の復興対策により、 幕府の財政は極端に悪化したと報告されています。

【日本最悪の関東大震災】~東京が火災旋風で焼け野原~10万人超の死者

1868年の明治維新の後で江戸は東京に改名されました。 明治維新後の明治時代約半世紀後の大正12年(1923)に関東大震災が起きました。 死者・行方不明者数は10万人を超え、日本で発生した自然災害の中で最多の被害者数であるため「日本史上最悪の自然災害」 と呼ばれています。
震源は諸説あって、大きく4つの震源が有力視されています。 地震学の上では相模トラフの境界で起きた相模トラフ巨大地震(海溝型地震)と位置付ける専門家もいます。 震源を見ますと南関東直下地震であったともいえます。 震源は相模湾北部、相模湾中央部、神奈川県、山梨県の4つの説に分かれています。 マグニチュードは7.9~8.2、震度は6とされています。
津波の高さは静岡県熱海市で6m、千葉県館山市で9m、神奈川県三浦市で6m、由比ヶ浜で最大9m、 逗子・鎌倉・藤沢の沿岸で5~7mと報告されています。
気象庁がかつて使用していた地震の揺れの強さを表す激震(震度7相当)は小田原、相模湾岸、房総半島南部(推計)です。 烈震(震度6相当)は熊谷、千葉県館山南部、千代田区大手町、横須賀、甲府でした。 建物の倒壊などによる直接死よりも、火災による焼死が圧倒的に多かった地震でした。
死者は約10万5千人ですが、主として東京都と神奈川県に集中し、火災旋風による焼死が主な死因でした。 主な地震被害は、死者行方不明者:東京都:約3.3万人、神奈川県:約7.0万人、建物全壊:東京都:2.4万戸、 神奈川県:約6.3万戸、焼失家屋:東京都:約17.7万戸、神奈川県:約3.5万戸でした。 いかに火災旋風による焼失家屋が多かったが分かります。
私の母は東京郊外で関東大震災を経験していますが、大正2年生まれで10歳だった母は家族が互いに肩を抱き合い、 畳の部屋の隅から隅まで数回動かされて一切抵抗できなかったと言います。 学校などで地震の時に机の下に入るよう指導していますが、母によればとてもそんな余裕はなかったと言っていました。 寺田寅彦の罹災記録では、かなり長周期の揺れであったことが記されています。
関東大震災者の罹災記録~実体験者の記録」もぜひご覧ください。

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東京都の現在の地震対策

過去の江戸または東京が甚大な被害に遭遇した地震は、安政2年(1855年)の安政江戸地震(M7クラスと推計)と 大正12年(1923年)の関東大震災の2つがあげられます。 前者は主として家屋倒壊による圧死、後者は火災旋風による焼死によるものでした。
2011年の東日本大震災では主として津波による溺死が宮城県、岩手県、福島県、青森県、茨城県、千葉県など太平洋岸に集中しました。 東日本大震災の最大震度は7で東北地方の太平洋岸で震度7を記録しましたが、東京都でも震度5強および5弱を記録しました。 震度5強だったのは、千代田区、墨田区、江東区、中野区、杉並区、荒川区、板橋区、足立区、江戸川区、調布市、町田市、新島村の 9区2市1村でした。震度5弱は残りの14区15市でした。
私は八王子市の自宅の2階にいましたが、激しい揺れに「外に逃げろ」と叫んで家内と急いで外に避難しました。 八王子市は震度5弱でした。家によっては食器が倒れた家もありましたが、 幸いに自宅は切土の上に立っていて地盤が堅固でしたので、コケシが倒れた以外被害はなかったです。 車で近くの保育園に孫娘の救援に駆け付けました。 部分停電があって暗い中でローソクを灯しながら孫娘と食事をした記憶がよみがえります。
新幹線を始め鉄道は停止し、断水、停電、ガス管破断、ガソリンの供給枯渇、サプライチェーンの機能停止、 エレベータ内閉じ込めや停止などでライフラインは大きな被害を受けました。 バス運航のできた路線が多かったものの交通渋滞で殆ど機能しない状態でした。 帰宅困難者が町に溢れ大混乱を起こしました。直接被害による死者は殆どなかったですが、生活不全をきたす二次被害は甚大でした。 浦安などの埋め立て地では液状化の被害が生じ、長い期間生活上の支障が続きました。

東日本大震災が起きた2011年3月11日当日に帰宅できた者は約8割と推計されていますが、普段の7倍もの時間がかかったと言われます。 私の友人はタクシーを待つのに8時間かかったと言います。別の友人は渋滞で4時間車が動かなかったと言います。 帰宅困難者は推計で東京都が約352万人、神奈川県が約67万人、千葉県が約52万人、埼玉県が約33万人、茨城県南部が約10万で、 首都圏合計で515万人であったと報告されています。JR各線は翌日の午前中にほぼ運転開始ができましたが、混乱は続きました。
私の次男は1995年の阪神淡路大震災の時、神戸大学の学生だったのでした。 大混乱の被災の経験をしていたので、明治大学のキャンパスにいた息子は、帰宅は無理と即断し、 直ちにコンビニに駆け付け飲料水と食物を購入し、大学の教室に宿泊する決断をしたと言います。
東京都が用意した避難所は約9万人と言いますから大半の帰宅困難者は勤務先、鉄道駅、公共施設に一夜を明かすことになりました。 デパートの中で帰宅困難者を受け入れた親切な店が評判になった話もありました。
一番大切なのは飲料水と食料ですが、2番目に大切なのは電気の供給です。 停電になることが想定されますので、非常用電源の準備が必須です。特に病院の停電は命に係わる緊急事態を招きます。 非常用電源に必要な燃料の備蓄が重要です。 同じように自動車の燃料が枯渇してガソリンスタンドが閉鎖され、供給制限のために長い列ができた経験は記憶に新しいです。
深刻な被害をもたらす二次災害には、短期的に対策が必要なものと長期的に必要なものとがありますが、 どちらも地震対策を準備すべきだと思います。

東日本大震災の被災経験から東京都は下記の地震対策を準備しています。

  1. 自衛隊の災害派遣要請
  2. 近隣の自治体との相互応援協力
  3. 消防活動
  4. 救助・救急
  5. 交通規制
  6. 飲料水・食料等の供給

地震に強いまちづくりは次の3つが取り上げられています。

  1. 地震に強い都市づくり
  2. 地震火災等の防止
  3. 施設構造物・建築物の安全化

一般に役所が準備する地震対策は、実際の時にスムーズに機能しないことが多いのですが、 主な原因は役所自体が被災して機能しなかった事例や、 職員が被災して揃わなかった事例が東日本大震災で見られました。 食料や毛布などの備蓄ができていても被災者に配布するルールや手順、 倉庫から取り出す担当者が不慣れなどの混乱が指摘されました。予行練習が必要でしょう。 市町村レベルで生じた問題には、防災倉庫の鍵が見つからなかった事例なども報告されています。 突発的な地震では混乱は避けられないでしょうが、非常時に機能する準備が求められます。

多くの死者・行方不明者がでた巨大地震を調べますと次の3つが大きな原因であることが浮かび上がります。

  1. 家屋・建造物の倒壊による圧死:1995年の阪神淡路大震災が代表例
  2. 地震火災による焼死:1923年の関東大震災が代表例
  3. 津波による溺死:2011年の東日本大震災が代表例

家屋・建造物の倒壊に関しては、老朽化した木造家屋(1981年の建築耐震設計基準を満たしていないもの)は 倒壊の危険はありますが、東京都にはそれほど多くありません。 しかし倒壊しなくても、家具などの転倒により怪我や身動きのできない状態となる可能性は高いです。 電気ブレーカーの機能不全が原因で漏電し、火災が発生することもあり得ます。 地震発生の時間帯によってはガスの使用中に地震が発生し火災に繋がる危険もあります。 地震火災と組み合わさった被害が想定されます。
最も危険だと想定されているのは木造家屋密集(木密と略称される)地域の火災です。 1923年の関東大震災は正に木密地域の火災が火災旋風を引き起こし約10万人に上る大惨事になりました。 東京都都市整備局は東日本大震災を踏まえて、木密地域不燃化10年プロジェクトを立ち上げ毎年見直しを 進めています。
(参照:東京都都市整備局:木密地域不燃化10年プロジェクト

木密地域が多く不燃化プロジェクトの不燃化特区に指定されている場所は次の区です。
1.大田区、2.目黒区、3.世田谷区、4.渋谷区、5.中野区、6.豊島区、7.板橋区、 8.文京区、9.北区、10.荒川区、11.台東区、12.足立区、13.江東区、14.墨田区、 15.葛飾区、16.新宿区
木密不燃化プロジェクトは都市計画道路の整備も同時並行的に実施されますので 火災だけでなく地震にも強い都市になると期待されます。 無電柱化も是非実施したいものです。
現在小池百合子都知事の下で東京都都市整備局は無電柱化事業を進めていますが、 高価な工事のため十分進行していないのが現実です。 2020年度までの国道、都道、区市町村道の無電柱化整備延長は1,154kmですが、 無電柱化率は50%に満たないようです。 東京オリンピック・パラリンピックが計画されたことを受けて、 さらに806kmの無電柱化道路の延長計画を進めています。

一方、東京都で巨大地震が発生した場合、想定されている津波の被害はどのようなものでしょうか。
首都直下地震の被害想定では、過去に発生した元禄関東地震の記録の記録をもとに、 東京湾沿岸部に到達する津波は満潮時で最大でも2m前後とされています。 そのため、死者などの大きな被害は生じないとされ、一部地域の浸水を除き、陸域の被災想定はされていません。 しかし南海トラフ巨大地震の津波想定は東京都の伊豆諸島および小笠原諸島の島嶼(とうしょ)部が被災することが想定されています。
冬期の深夜に津波が襲う最悪のケースで島嶼部における津波高および想定死者の数は下記のとおりです。

最も死者の数が多い新島の夜間人口は2,351人ですので約半数が犠牲になる想定です。 島嶼部全体で夜間人口は27,401人で死者の数が1,749人ですので6.4%の割合です。いかに新島が危険であるかが分かります。 最大津波高が30.2mと高い値だけでなく、村の市街地が西側の低地に密集して存在していることも大きな要因です。
2番目に死者の多い神津島もほぼ同じような要件が重なっています。 両島とも避難できる高台や丘陵地があることから、避難訓練を常時しておく必要があるでしょう。
(参照:東京都防災ホームページ

南海トラフ巨大地震と首都直下地震がマスコミで騒がれていますが、東京都も両地震に影響を受けることは確かです。 地震の直接的な被害よりも、東京都の場合、首都機能のマヒが一番問題です。 ライフラインや日常生活への障害は人口が多いだけに深刻です。 巨大地震ほどの規模でなくても、M6あるいはM7クラスでも首都機能がマヒする二次災害が起きることは充分にあり得ることです。 東日本大震災の時、東京都は震度5強および5弱でしたが大変な混乱に見舞われました。帰宅困難者が約350万人にも上ったのです。
東京都には木密地域が数多く存在しています。地震火災の危険は大です。 埋め立て地が多い東京都は液状化も心配です。都市ガス管の破断は最も復旧に時間がかかると言われています。 被災状態が長期化する恐れは大です。
南海トラフ巨大地震と首都直下地震のみに囚われずに、中規模の地震による二次災害も対策を立てる必要があります。 エレベータは震度4でも止まることはありますし、新幹線も一時停車します。 一つ一つの地震対策を地道に積み重ねていく態度が必要と考えます。 特に高齢者に犠牲者が多くなるような都市構造であってはいけないです。

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