Opinion

首都直下地震・南海トラフはいつ来る? 大地震周期説の科学的根拠はあるのか

執筆:村井俊治、JESEA取締役会長、東京大学名誉教授

【首都直下巨大地震の周期説】
~川角廣教授の69年説は不的中だった~

過去に起きた巨大地震の記録は大体400年くらい前から信頼できる歴史的文書に記録が残っています。一つの地域に起きた大地震の間隔を計算すると、ばらつきはありますが数百年に1回や数十年に1回の割合で大地震が起きていることが分かります。この地震間隔年数は地震専門家でない一般の方でも簡単に計算できます。一番最近に起きた大地震の年数に平均的な地震間隔年数を足した年に大地震が再来すると言うのが周期説です。当然地震間隔は等間隔ではありませんから、様々な観点から推定、推量、憶測などを加え「何年先に大地震が来る」と言う専門家がいます。

しかし、百年先などと言えば予測した本人は大体亡くなっていますので、大地震が来ても来なくても残された若い人たちは忘れているのが現実です。

私が若い時に最も騒がれたのは首都直下地震69年説でした。「1923年(大正12年)に起きた関東大震災から69年±13年後に東京に大地震が起きる」と当時の東京大学地震研究所の所長だった川角廣(かわすみ・ひろし、1904〜72年)教授が唱えて、長い間マスコミに取り上げられていました。1923年に69年を足すと1992年です。1992年には川角教授は亡くなっていましたから本人の責任は問われませんでしたが地震は起きませんでした。さらに13年を加えた2005年にも大地震は起きませんでした。(参照:https://weathernews.jp/s/topics/201808/290255/

この周期説のおかげで東京都は江東区、墨田区、荒川区の3区に防災対策を施しました。江東区の都営集合住宅も防災を意識して計画されました。周期説の陰の功績です。地震専門家によれば首都圏を含む南関東では約70~80年周期で起きるM7クラスのプレート内地震と約220年周期で起きるM8クラスのプレート間地震の2種類があると言われています。
関東大震災は相模トラフを挟んで北米プレートとフィリピン海プレートの間のプレート間地震(海溝型地震とも言う)とされていますが、後で述べますが内陸地震説もあります。関東大震災(1923年)の前には、元禄関東地震(1703年)、明応関東地震(1498年)、永仁関東地震(1293年)と約200年の周期で発生しています。関東大震災が起きた年に200~220年を加えれば2130年ごろ関東大震災並みのM8クラスの地震が起きるという周期説になります。

しかし関東大震災以来、70~80年説のM7クラスの地震も1993~2003年の間に起きていませんし、2020年時点で97年経過した現在でもM7クラスの地震は首都圏で起きていません。周期説云々より、今では「M7クラスの地震はいつ起きてもおかしくない」と言う説が喧伝されています。簡単に言えば地震予測は全くなされていないと言えるでしょう。

関東大震災で主として火災により約10万5千人の死者が出ました。全焼家屋は約21万2千棟でした。被害は東京府および神奈川県に集中し、火災被害以外の全壊家屋の数では東京府の約2万4千戸に対して神奈川県の約6万4千戸と被害が一番大きかったです。

関東大震災の震源域は諸説あり、一か所に特定されていません。約10人の地震学者がそれぞれ震源域を推定していますが、大体次の4地域に絞られています。

  • 第1案:相模湾の中央部
  • 第2案:相模湾の北部
  • 第3案:山梨県河口湖東部
  • 第4案:神奈川県西部

第1案および第2案は相模トラフに起因する海溝型地震で第3案および第4案は内陸地震です。中には神奈川県開成町の松田断層付近の震源説も存在しています。

関東大震災のマグニチュードは7.9とされていますが、外国ではM8以上を唱える地震学者もいます。最大震度は当時の震度の規定では震度6でしたが現在の規定では震度7とされています。当時の地震計の記録を見ますと地震の揺れは約10分間も激しく揺れたことが分かっています。しかし今から約100年前の技術では詳細な科学的観測記録が残されていないのが現実です。

元禄関東地震(1703年)は単に元禄地震とも言われ、関東地方を襲った海溝型巨大地震です。M8クラスの地震で武蔵、相模、下総、上総、安房の国にまたがり死者は約6千7百人と推定されています。震源域は南房総とされ、海底地形が隆起して段丘を形成しました。小島だった野崎岬は陸地の一部になりました。三浦半島や、房総半島の突端も大きく隆起したと言われます。江戸の被害はそれほど甚大ではなく、相模灘周辺および房総半島南部の被害が一番大きかったことが記録に残されています。相模灘周辺および房総半島南部に津波が押し寄せ、熱海で7mの津波が襲来しほとんどの人家が流されました。鶴岡八幡宮の二の鳥居まで津波が押し寄せたと記録されています。東京湾の入り口にあたる浦賀に4.5mの津波が押し寄せました。汐留貨物駅周辺には液状化の痕跡が発掘されています。

元禄関東地震の4年後の1707年には南海トラフ3連動と言われる宝永地震が起き、さらに49日後に富士山が大噴火を起こしています。周期説の立場からは、元禄関東地震は宝永地震の前震だったと主張する専門家もいます。

1498年に発生したとされる明応関東地震については、古文書の記録が鎌倉周辺のみであるため疑問視されています。(地震調査研究推進本部地震調査委員会;2014)1498年に起きた明応地震は南海トラフ地震とされ首都直下地震とは区別されています。古文書によれば明応関東地震で鎌倉大仏の大仏殿が流出して大仏は露座となったとされています。この地震が津波を伴う地震であったことは確かですので、震度は小さくても津波は大きいケースもありますので、ここでは明応関東地震が起きたとしておきます。

時代が前後しますが1677年に延宝房総沖地震は房総半島東方沖を震源とするM8の大きな地震で津波が起きたことが分かっています。津波は現在の千葉県、福島県、宮城県に及び津波高は最大8~10mに達したとされています。いわゆる首都直下地震と結びつけるのはやや難がありますが、南関東のくくりとして対象に加えても良いかもしれません。しかし川角廣教授の周期説には対象とされませんでした。

1293年に起きた永仁関東地震は鎌倉大地震、永仁鎌倉地震などの別名で呼ばれることがあります。建長寺が倒壊したことから建長寺地震ともよばれます。地震調査委員会は、この地震はM8クラスの相模トラフ地震と位置付けています。地震による死者数は数千人から2万人程度と推定されています。地震が起きた時は正応6年4月でしたが、地震の後に飢饉などが起き、朝廷は8月に永仁と改元したことで永仁関東地震と呼ばれています。東京大学地震研究所の調査により、三浦半島の堆積物が発掘されたことで、この地震で津波が発生したことが明らかになっています。

以上、首都圏直下地震の周期説を考察してきましたが、過去に一つとして首都直下で大地震は起きていません。首都直下地震と言うより南関東地震と言う方が適切のような感じですが、それぞれ地震の震源域や被害分布はかなり異なることが分かります。必ずしも首都である東京が中心ではないですが、容認するとして周期説を眺めなおしますと、同じような地震が首都圏に約200年おきに起きると言う周期説にあまり信憑性はないと思います。地球の地殻の状態も数百年の単位では大きく変化していることを考えると、この数年間の地殻の変動をきめ細かく観測し、分析した上で地震予測をすることが重要でしょう。関東大震災が起きた1923年に約200年を足して2130年ごろに首都直下地震が起きると言っても、大抵の人たちは「そのころ生きていない」と言うでしょうし、若い人たちは「そんなに先のことは憶えていない」と言うでしょう。

【南海トラフ地震の周期説】

気象庁によれば「南海地トラフ地震は、駿河湾から日向灘沖にかけてのプレート境界を震源域として概ね100~150年間隔で繰り返し発生してきた大規模地震です」と定義しています。南海トラフとは駿河湾から遠州灘、熊野灘、紀伊半島の南側の海域および日向灘までのフィリピン海プレートおよびユーラシアプレートが接する海底の溝状の区域を言います。したがって南海トラフ地震はフィリピン海プレートとユーラシアプレートのプレート間地震と言えます。

東海地震も南海トラフ地震の一つとして扱われ、駿河湾から静岡県の内陸部を震源域とするM8クラスの地震を言います。1854年の安政東海地震から約150年近く東海地震が起きていないことから「いつ起きてもおかしくない」とされ、ひずみ計を海底の埋め込み、東海地震の予知は可能だと言われていましたが、東日本大震災のあとで「地震予知は困難」と宣言した時と同時に地震予知が可能とされてきた東海地震についても「予知は困難」扱いになりました。周期説も信憑性がないことを露呈した形になりました。

(参考:https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/nteq/index.html

過去に南海トラフ地震と言われる地震と発生年を列挙しますと次の地震があります。

  1.  684年:白鳳地震
  2.  887年:仁和地震:間隔 203年
  3. 1096年:永長東海地震:間隔209年
  4. 1099年:康和南海地震:間隔212年(仁和地震から)
  5. 1361年:正平(康安)東海地震/正平(康安)南海地震
    間隔:262年(康和南海地震から)
    間隔:265年(永長東海地震から)
  6. 1498年:明応地震:間隔:137年
  7. 1605年:慶長地震:間隔:107年
  8. 1707年:宝永地震:間隔:102年・・・49日後に富士山大噴火
  9. 1854年:安政東海地震・安政南海地震:間隔:147年
  10. 1944年:昭和東南海地震:間隔:90年
  11. 1946年:昭和南海地震:間隔:92年(安政南海地震から)

白鳳地震から正平南海/東海地震までは地震が起きた間隔は約200~270年くらいでしたが、その後の明応地震以降は約90年~140年ぐらいに短くなりました。これらの過去の大地震の起きた間隔から、気象庁は概ね100~150年間隔で繰り返し南海トラフ地震が起きると言う表現をしたことが分かります。昭和南海地震が起きた1946年から2020年時点で74年経過していますが現時点では周期説の危険範囲には入っていません。周期説で100~150年間隔とすると2046年から2096年ごろに南海トラフ地震が起きると言うことになります。政府の予測では向こう30年に70~80%で南海トラフ地震が起きる可能性があるとされています。そして最大34mの高さの津波が高知県の黒潮町を襲うとの分析を発表して話題を独占しました。

一番最近起きた1946年の昭和南海地震を調べてみます。1946年12月21日紀伊半島の潮岬南方沖の深さ24kmの震源域とするM8の地震が起きました。単純なプレート境界型地震でなくスプレー断層の滑りが複合した地震とされています。死者は1330人でした。被害は紀伊半島、四国、九州の大分県から東海地方に及びました。

2年前の1944年に昭和東海地震が起きた時に東京帝国大学の地震学者であった今村明恒教授は「近い将来南海地震が起きる」と予測をしたものの無視されましたが、2年後に南海地震が発生し、今村教授の予測が現実になりました。また1944年東南海地震の発生前には陸軍の陸地測量に働きかけ、掛川から御前崎まで水準測量を指揮していましたが、地震前日の御前崎で異常な隆起があったことを突き止めていました。この水準測量の成果が、「東海地震は予知できる」と言われる根拠であるとされています。

また、1854年の安政南海地震の逸話についても紹介します。安政南海地震の出来事をもとにした「稲むらの火」という作品があります。村の高台に住む男が、地震の前に潮が引いたのを見て津波が来ると予測し、村民を避難させるために、稲むらに火を点けて安全な高台に誘導。結果として村民全員の命を守ったという美談です。1937年から10年間国定教科書に取り上げられました。

最後に周期説に関する結論を述べます。以上に見てきましたように周期説は一つの目安には違いありませんが、科学的根拠が薄弱であり、信憑性に欠けると言えます。

南海トラフ地震の周期(出典:気象庁)

 

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