Opinion

津波防災の高台移転~地盤のかさ上げ~住民の反応は?

執筆:村井俊治、JESEA取締役会長、東京大学名誉教授

【被災地の高台移転】

住民および町を津波の被害から守るためには、高台移転、かさ上げ工事、防潮堤の建設などがあります。津波の被害を受ける町は海に面していますので、漁業、魚市場、水産加工業、海の観光業など主として海に関連した産業が主流です。津波の被害を避けると海から遠ざかることが大きな問題になります。しかし東日本大震災のような大災害を経験すると人命だけは救いたいと言う意見が出るのは当然です。津波からの防災対策は、海の近くに住んで海の生業をしたいと言う願いと相反することになります。

一つの選択として、津波の災害を覚悟して、海と密着した生活をするけれども、津波を予測して素早く避難する方策があります。しかし高齢化社会では、全員が安全に避難できる保証はありません。どうしても犠牲者は出ることでしょう。住民の意見はなかなか一つの案に落ち着かない自治体が出ました。

高台移転は一番津波の被害を避ける正攻法です。しかし町の利便性は失われることが多いです。漁民であっても海の近くに住めないからです。漁港や魚市場の職員も海に通勤することに不便が募ります。

東日本大震災で壊滅的な被害を受けた町の住民が高台移転を決めたのは東北三県で8389戸でした。高台移転は原則5戸以上がまとまって移転することが条件になっています。国土交通省によれば2020年3月末に高台移転は完了すると発表されました。内訳は岩手県が2101戸、宮城県が5638戸、福島県が650戸です。被災地最大規模の高台移転は宮城県南松島市の野蒜(のびる)団地で92ヘクタールに1200人が住むと計画されました。JRの鉄道と駅も一緒に高台に移転しました。鉄道と駅が住宅地と一緒に移転しましたので、利便性はかなり高いと思われます。

宮城県南三陸町の高台移転には悲しい津波の被害の経緯があります。南三陸町は東日本大震災の津波で死者・行方不明が約800名と多かったです。津波浸水面積は277haであり、住民は5800人住んでいました。町は浸水エリアを非居住地区に指定して高台移転を決定しました。この決定には津波の直撃を受けて生き残った町長・職員10名のつらい体験があったのです。町役場の隣に防災対策庁舎の3階建ての建物がありました。12mの高さの屋上に避難した52名の町役場の職員は津波の直撃を受けて手すりにつかまった者など10名が生き残ったのでした。この防災対策庁舎は津波遺構として保存されることになりました。このような経緯からすれば何としても高台移転をして人の命を救いたいと言う町の願いも理解できます。

南三陸町は歌津地区、志津川・入谷地区、戸倉地区の3地区を高台に移転して一本の道路で結ぶ分散都市にしました。107haあった住宅地は高台移転で38haに縮小されました。役場市庁舎は海抜60mの高台に移転しました。昔は500m円内に町の中心があったのが、海まで車で約30分かかる距離になってしまいました。3地区を結ぶ道路は、通勤時には渋滞が発生しているそうです。確かに人命は守ることができるでしょうが、町の利便性は失われたと言えます。海に接して栄えた町の歴史と文化はなくなってしまいました。新しく高台に生まれた「南三陸さんさん商店街」が新たな歴史と文化を生むことを祈りたいと思います。

小規模な集落単位の高台移転も数件紹介します。宮城県気仙沼市唐桑町舞根(もうね)地区は牡蠣の養殖をしてきた集落です。東日本大震災で集落は壊滅的に被災しました。25戸が海岸から高台に集落ごと移転したのですが、震災前よりも近所付き合いは「深まった」と「変わらない」が91%でうまく行った事例です。41%の住民が利便性がかえって便利になったと言います。問題は住民が高齢化していることだと言います。宮城県石巻市あけぼの北区の場合42戸が高台移転しましたが、市内各地から集まったこともあり周りは知らない人ばかりで近所付き合いは71%の人たちが前より浅くなったと言います。回覧板は以前手渡しが当たり前だったのが、移転後回覧板はポストに入れるようになったと言います。ただし病院や買い物は前より便利になったと言います。高齢者の割合は2割で小学生以下の子供がいる家庭もあり高齢社会の問題は少ないようです。岩手県山田町小谷鳥地区の場合、少数の住民が集落ごと移転したので、近所付き合いも利便性も全く以前と変わらないと言います。岩手県大船渡市梅神地区の場合、もともと同じ集落で顔見知りの住民が一緒に移転したので8割の住民は近所付き合いも利便性も以前と変わらないと言います。この集落は後継者のいる世帯が多く、限界集落の危険はなさそうです。

高台移転では、集落の絆をいかに維持または向上させるか、利便性をいかに確保するか、高齢化による限界集落をいかに防ぐかが大切なポイントです。津波から命を守るためだけの高台移転は成功しないことを様々な事例から学ぶことができます。

 

【被災地のかさ上げ工事】

再び津波の被害を避けるには、地盤のかさ上げ、つまり土地全体を盛土する方法が考えられます。漁師の人たちは海のそばから離れるのを嫌がります。そうなりますと被災地にかさ上げの盛土をせざるを得ません。東日本大震災の津波の被災をした宮城県、岩手県、福島県の3県沿岸の37市町村のうち15市町村がかさ上げ工事をしました。当然都市計画も変更されました。漁港や商業地域は海岸近くに配置され、住宅地は内陸部に移転しました。多くの市町村は1~6mの盛土を計画していますが、女川町では最大15mの盛り土をしました。

全体の面積は740ha、必要な土量は総計1750立法メートルで東京ドーム14杯分と推計されました。復興事業として国が全額負担をしました。盛土には5年くらいかかると言われましたが2019年にはほぼ完成しました。盛土は丘陵地を削って調達しましたが、高台移転の時に出る土を使ったところもあります。近くに丘陵地がない場合、土が不足する場合がありますが、遠くから盛土を運搬したので多額のお金が必要になりました。また盛土は、よっぽど固く締固めをしない限り地震の揺れに弱い欠点もあります。高層住宅などを建設するときは杭を打つなど防振対策が必要になるでしょう。

三陸海岸に立地していた港町や漁港は震災前賑わいがありました。果たしてかさ上げした新しい港町や漁港に賑わいが戻ったでしょうか? かさ上げされた町の人口は2020年時点で、震災前と比較して少ない方から書きますと、宮古市と陸前高田市が40.1%、気仙沼市が45.1%、山田町が50.7%、大船渡市は56.2%、大槌町が57.7%、女川町が58.1%、釜石市が61.7%、いわき市が66.4%、洋野町が76.7%、多賀町が84.2%、塩釜市が85.5%、野田村が87.2%、名取市が102.3%、新地町が123.8%の順になっています。15市町村の内、9市町村が震災前の3分の2以下の人口に減っています。宮古市、陸前高田市、気仙沼市、の3市は50%にも満たないです。一方多賀町、塩釜市、野田村、名取市、新地町は80%以上、名取市と新地町は震災前より人口が増加しました。これらの5市町村は仙台市への通勤が1時間以内の仙台圏内にあります。

人口が減少した理由はアンケートによれば、「津波が怖いので他の土地に移転したい」、「復興に時間がかかり待てない」、「町が一変し、商売が成り立たない」、「住みにくい」などでした。福島県の新地町は震災前より1.2倍以上も人口が増えましたが、JR新地駅に近い場所にベッドタウンができ、仙台市への通勤内にもなっており、「便利で住みやすい」と好評だそうです。町が新入住民に補助金を出したこともプラスになったようです。

 

【町ごと高台移転】
~串本町の高台移転~命守る事前復興~

過去に津波の被害を受けたことがある町が、将来の巨大地震で起きるかもしれない津波を想定して、高台移転をした町があります。和歌山県串本市で紀伊半島の南端に位置しており、南海トラフ地震が起きたら3分後に17mの津波が襲ってくると想定されている町です。串本市は1944年に起きた東南海地震(M8.0)および1946年の昭和南海地震(M8.1)で津波の被害に遭遇しました。町は「命守る事前復興」の理念の下で1990年代から高台への施設や住宅地の建設を始めました。1991年には鬮野川(くじのかわ)区の高台に総合運動場を起工しました。1992年には高台に67区画、1995年には95区画の住宅地の分譲を開始しました。2005年に二つの町が合併して現在の串本町になりましたが、町役場と町立病院、消防本部が海抜約53mの高台への移転を始めました。2008年にこの高台の住所を「サンゴ台」の名前に改称しました。東日本大震災が起きるとサンゴ台分譲住宅への購入や問い合わせが急増したと言います。同年二つの町立病院を統合してサンゴ台にくしもと町立病院を建設しました。2012年には消防本部もサンゴ台に移転して消防防災センターに組織改革をしました。2014年に災害時に備えてサンゴ台にくしもと警察署の代替え指揮所を設置しました。2015年には海抜約50mの「西の岡」と呼ばれる高台に学校給食センターを建設しました。「西の岡」と「サンゴ台」は隣接しています。2016年には町社会福祉協議会、串本海上保安署、県串本建設部がサンゴ台に移転しました。2017年には町土地開発公社の売り出した160区画を完売しました。

将来計画では2021年に町役場がサンゴ台に移転、2023年にくしもとこども園を西の岡の高台へ移転が決まっています。このこども園が保育所と幼稚園を統合した施設で町民4000人の署名が2014年に提出されたそうです。時期は未定ですが町立小学校2校を統合して高台に移転をする計画が出ているそうです。このように時間をかけて町の中心部をサンゴ台に移転する努力をしてきたことは素晴らしい模範的防災対策だと思います。

しかし津波浸水想定区域にも住民が住んでいます。殆どは昔から住み慣れている高齢者です。お墓参りもあり、仲間との絆もあって新しい高台への移転はできないと言います。町は海岸の旧市街からサンゴ台への避難路を建設していますが、高齢者が取り残される可能性はあるのが問題です。

 

【かさ上げした町のその後】
~工事長期化~賑わい戻らず~人口激減

宮城県気仙沼市では震災で沈下した内湾地区および鹿折(ししおり)地区の2地区の海に面したエリアにかさ上げ工事をしました。鹿折地区は2011年時点で住宅696棟、店舗など207棟だったのが、2020年時点で住宅94棟、店舗など43棟と、震災前に比べて住宅で14%、店舗などで20%と激減しました。内湾地区でも住宅で89棟の内16棟(18%)、店舗などで196棟の内31棟(16%)と同じく激減しました。住宅の3棟は災害公営住宅です。内湾地区に災害公営住宅が建設され1階の店には魚料理の店ができましたが賑わいが戻ったとは言い難いようです。内湾地区は飲食店やホテルが集まる気仙沼市の顔の存在でした。しかしかさ上げした後で町の賑わいは戻らなかったです。かさ上げ工事に時間がかかったことが、復興に後れを取った大きな原因ですが、歴史が刻まれた昔の町が一変して魅力がなくなったことも大きな課題です。病院など医療機関が姿を消したことも問題となっています。津波に安全な場所を提供するだけでは人間社会は成り立たないことが分かります。

陸前高田市もかさ上げ工事をしています。震災前と比べて40%しか人口は戻っていません。2020年12月にかさ上げ工事の完工を目指していますが、総工事費1648億円で125ヘクタールの広大な土地をかさ上げします。かさ上げされた土地に建てられた7階建ての災害公営住宅からは土ボコリの殺風景な町しか見えないと言います。かさ上げが終わった住宅地は空き地が目立ち、電柱ばかりが目立つと言います。スーパーや図書館などの施設に賑わいはなく、空き地には売地の看板も目立つと言われています。

一方仙台への通勤圏内にある宮城県名取市は、震災時点より人口がわずかに上回り復興に成功した町です。仙台の中心地まで約10kmの近さで地価も安く、名取市が住民に補助金を出したことが成功の原因です。しかし震災前は漁港を軸に住民の結びつきが強かった町は、震災後新入住民が増加して、昔ながらの近所同士のお茶会がなくなったと言います。一方新住民を対象としたイベントが多く企画されるけれども、新住民は無理やりコミュニテイに取り込まれたくないとこぼすそうです。人と人、人と町、人と自然が解け合うには年月が必要でしょう。人々のなりわいや、暮らしに根ざした町づくりを取り戻すには時間をかけて一から作り上げることが求められます。

 

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