1944年12月7日に発生した昭和東南海地震は、戦時下という特異な状況の中で発生した大規模災害でした。報道管制が敷かれ、被害の実態が隠された結果、多くの命が救われることなく失われました。
第1弾では「情報が届かないことの危険性」、第2弾では「正確な情報が人と社会を動かす力」について掘り下げました。
そして今回は、この昭和東南海地震の教訓を未来の私たちにどう生かすべきかを考えてみたいと思います。
「過去」は終わっていない
災害は、過去の出来事ではありません。
たとえば、南海トラフ地震。
今後30年以内に70~80%の確率で発生するとされるこの巨大地震は、昭和東南海地震や南海地震の再来とも言われています。
つまり、過去の災害は未来に繰り返される可能性があるのです。
昭和東南海地震のときと同じように、もしも情報が正しく共有されなかったら──。
もしも、誤った情報が優先され、人々の行動を惑わせたら──。
私たちはまた、同じ悲劇を繰り返してしまうかもしれません。
情報社会の「新しい脆弱性」
現代は、かつてないほどの情報社会です。
SNS、動画配信、AIによる情報解析。災害時にもリアルタイムの映像や音声が即座に共有される時代です。
しかし一方で、これまでになかった「新たなリスク」も存在します。
• 根拠のないデマの拡散
• AIによる偽映像(ディープフェイク)
• SNSでの誤誘導や混乱
正しい情報があふれているはずの社会で、人々が誤った判断に走ってしまうリスクがあるのです。
つまり、かつての「情報がなかった」時代とは異なり、今は「情報がありすぎて、何が正しいかわからない」という問題が浮上しています。
情報を「使う側」の意識改革
このような時代において、私たち一人ひとりに問われるのは、「情報の受け取り方」です。
• その情報は誰が出しているのか?
• 出典は明らかか?
• 他の情報と照らし合わせて矛盾はないか?
こうした姿勢を持たずに情報を鵜呑みにしてしまうと、災害時に最も重要な「判断」を誤ってしまいます。
また、個人が発信する一言が社会を混乱させることもあります。
だからこそ、情報を「発信する側」にも責任が問われます。
災害時は、真偽不明の情報を拡散せず、まず公式情報にアクセスすること。
自分が現地にいる場合でも、冷静で正確な情報提供を心がけること。
それが、社会全体の安全を守ることにつながるのです。
「誰かが伝えるだろう」ではなく、「自分が伝える」
昭和東南海地震のとき、実際に被災した人々の中には、
「政府が助けてくれると思っていた」
「誰かが伝えてくれるはずだと思っていた」
という声もありました。
しかし、情報が届かなければ、救援も届きません。
正確な情報を、誰かが責任を持って伝える必要があるのです。
現代では、誰もがスマートフォンを持ち、SNSなどを通じて即座に情報発信ができる時代です。
つまり、「誰かが伝える」ではなく、「自分が伝える」ことができる時代なのです。
これは大きな力であると同時に、非常に重い責任でもあります。
そして、ここで忘れてはならないのが、
「自分が正しいと思っている情報も、間違っている可能性がある」という前提です。
とくに災害時は、
• 緊張状態やパニックにより、冷静な判断が難しくなる
• 不完全な情報を「事実」と思い込んでしまう
• 誰かの言葉を聞き違えたり、見間違えたりする
ということが容易に起こり得ます。
だからこそ、以下の点を意識することが重要です。
• 発信前に情報の出典・根拠を確認する
• 「~らしい」「~かもしれない」という曖昧な情報には注意を添える
• 発信の際は事実と推測を明確に分ける
• 不確実な場合は「状況が不明」「確認中」と明記する
• なるべく一次情報(公的機関・自治体・専門機関)を優先して引用する
そして何より、「誰かに助けを求める声」を発信するのであれば、落ち着いた言葉で、正確な場所・状況・人数などを具体的に伝える努力が求められます。
その一言が、誰かを動かし、命を救う力となるかもしれません。
逆に、その一言が、救助や支援の混乱を引き起こすこともあるのです。
最後に:災害のたびに、私たちは「試されている」
災害が起きるたびに、私たちは試されます。
• 私たちは正しく行動できるか
• 私たちは正確な情報を信じられるか
• 私たちは他者の命を思いやれるか
• そして、私たちは正確な情報を「慎重に」発信できるか
昭和東南海地震は、戦争という時代背景のもと、情報が封じられ、声がかき消された災害でした。
しかし、その声を現代の私たちが受け止め、行動に移すことで、未来の命を救うことができるのです。
情報は、ただの手段ではありません。
それは命を守る「手渡すバトン」です。
私たちは、次の世代に「声が届く社会」、そして「誤った声に惑わされない社会」を残していけるでしょうか。
昭和東南海地震という「封じられた声」に、昭和東南海地震が教える、私たちが未来に備えるべきこと